GOATとも称されるバスケの王様“レブロン・ジェームズ“
優勝回数4回、SMVP4回、FMVP4回に得点王、アシスト王と幅広い功績を残し、通算得点数は4万点を超えており、これは歴代No.1の記録になります。またリバウンド・アシスト数も1万超えを達成しており、最高のオールラウンダーと言われております。レブロンはNBAの歴史を紐解いても、TOPクラスの選手であるのは間違いないでしょう。
彼はこれまでどんな道を辿ってきたのでしょうか?
幼少期~学生時代

レブロンはオハイオ州アクロンにて誕生します。
後にライバルとなるカリーも同じ病院で生まれたエピソードは有名ですね。
幼少期から突出した身体能力を見せていたレブロンはアメフト・バスケを両立させ、自身の体を使いこなしていきました。
高校生1年目からチームのエースとなったレブロンは州のチャンピオンに導きました。
2年目からも成績を伸ばしていき、その活躍は瞬く間に広がり試合を見ようと観客が押し寄せ全米放送されるほどでした。
当時高校生の活躍を見るために全米放送までするって…(^^;)
しかもレブロンは高校在学中にナイキと契約を結び約9000万ドルを手にしていたそうです。
高校生時点で既に日本人の生涯年収以上の稼ぎを…
キャバリアーズ~ヒート時代
2003年のNBAドラフトにエントリーしたレブロンは、カーメロ・ウェイドら優秀な選手を抑え、1位指名でクリーブランド・キャバリアーズへ入団していきます。
生まれ故郷にある球団に指名されたレブロンは地元に優勝トロフィーをもたらすことを約束します。
当時クリーブランドは、半世紀もの間野球やアメフト等あらゆるスポーツで優勝することができず呪われた地と揶揄されておりました。しかしそこに高校時代から注目されていたレブロンがキャブスにドラフトされたことにより、地域住民は活気にあふれました。
「必ずレブロンが優勝トロフィーをもたらしてくれる!」
レブロンはこれまでにない期待とプレッシャーを受け、NBA界に乗り込んでいくのでした。

1年目からレブロンはキャブスのエースとして躍進しました。
開幕戦で25得点、6リバウンド、9アシスト、4スティールという訳の分からないスタッツを残しております。

息子のブロニーの初得点が父親と同じベースラインからのプルアップシュートだったのが印象的ですね!
シーズン成績は20.9得点5.5リバウンド5.9アシストとオールラウンダーな成績を残し新人王を受賞。
新人シーズンに20得点5アシスト5リバウンド以上を達成したのはオスカー・ロバートソンとマイケルジョーダンのみであり、NBAの歴史上3人目の快挙となりました!
チームはプレーオフを逃しましたが、このレブロンの活躍にファンの期待は爆発しておりました。
その後レブロンは個人成績を軒並み伸ばし、チームに貢献し続けましたが、フロントの動きと噛み合わず孤軍奮闘状態となっていきます。
チームとしてカンファレンスファイナルやNBAファイナルまで駒を進める場面もありましたが、スパーズの強固な守りを崩すことができずスイープ負けを喫します。

ティム・ダンカンがレブロンに対し「これから間違いなくお前の時代が来る。だが今回は優勝させてもらったよ」と冗談交じりに伝えていているのをみて、1時代を築いたレジェンドからも認められているのが印象的でしたね。
あと一歩という状況が続くことで、レブロンは精神的にも追い詰めれることとなりました。
結果的に勝てないチームに居続けることが困難だと判断したレブロンは、ESPNの番組内でマイアミ・ヒートに移籍することを公表しました。

2010-11シーズンに移籍したレブロンは、マイアミ・ヒートで同期であるドウェイン・ウェイドや同時期に移籍してきたクリス・ボッシュらとBIG3ならぬスリーキングスを組むことになります。しかしそれは故郷への裏切り行為だと捉える人も少なくはありませんでした

キャブスファンからは批判が殺到し、ユニフォームを燃やす動画が出回るほど荒れてましたね…
ヒートに移籍したレブロン率いるスリーキングスは破竹の勢いで勝ち星を積み上げていきました。
結成初年度からNBAファイナルまで駒を進めたヒートはダーク・ノビツキー率いるダラス・マーベリックスと対戦します。
世間ではヒート有利と予想されておりましたが、レブロンがまさかのスランプに陥りマブスが優勝を手にしました。マブスのチームディフェンスや作戦が決まったと言えますが、レブロンのスタッツが軒並み落ちていることから非難の的とされてしまうのです。

もともとチームの顔であったウェイドへ対して、レブロンが遠慮していると感じたウェイドは完敗を喫した後声を掛けました。
「このチームはお前のチームだ」
この一言がきっかけとなり、レブロンは名実ともにリーダーとして才覚を発揮していきます。

この一言にウェイドのカッコよさが詰まってますね!
今までエースとしてチームを牽引してきた選手がこれを言えるのは本当にすごいことだと思います!
2011-12シーズンに名実ともにエースとして実力を発揮したレブロンは、イースト2位の成績でプレーオフに進んでいきます。
1回戦でニューヨーク・ニックス、2回戦目でインディアナ・ペイサーズを下し、順調に勝ち進んだヒートとレブロンでしたが、ポール・ピアースらが率いるボストン・セルティックスに苦しめられることになります。
2勝3敗と追い詰められていたレブロンにメディアは「チームの問題ではなくレブロンに問題がある」「レブロンは勝負弱い」と酷評されてしまいます。
絶対に負けられないゲーム6の幕が上がる中、レブロンは静かにパワーを貯めていました。
レブロンは驚異的なパフォーマンスで試合を支配し、45得点、15リバウンド、5アシスト、フィールドゴール成功率73%という驚異的なスタッツでチームを勝利に導きました。
この時のレブロンは鬼気迫るものでしたね。
勢いそのままボストン・セルティックスを下し、2年連続でNBAファイナルに進んでいきます。
NBAファイナルでは得点王ケビン・デュラント率いるオクラホマシティ・サンダーでした。
当時若かりしラッセル・ウェストブック、ジェームズ・ハーデンを擁していたサンダーは破竹の勢いでウェストを制し、乗りに乗っているチームでしたがそれでもレブロンの勢いは止まらず4勝1敗で初めてNBA制覇を成し遂げるのです。
レブロンはプレーオフ全体で平均30.3得点9.7リバウンド5.6アシストと世間の評判を一蹴する成績を残すのでした。
2012-13シーズンでもマイアミ・ヒートとレブロンの勢いは止まらず、シーズン27連勝とフランチャイズ記録を達成し、イースト1位でプレーオフに進出するとミルウォーキー・バックス、シカゴ・ブルズを下していきます。
カンファレンス・ファイナルではポール・ジョージ率いるインディアナ・ペイサーズに苦戦を強いられ、第7戦もつれる接戦を制し、3年連続でNBAファイナルに進出します。
NBAファイナルではサンアントニオ・スパーズと対戦します。
当時年齢による衰えが出てきているティム・ダンカンらBIG3でしたが、若かりしカワイ・レナードを加えBIG4を形成していたスパーズの鉄壁のディフェンスにヒートはペイサーズ以上の苦戦を強いられました。正直試合内容はスパーズのほうが圧倒していた印象があります。
しかしレブロンの個人技やゲーム6ではレイ・アレンの劇的ブザービーターでスパーズを下し、2連覇を達成するのです。レブロンは2年連続でファイナルMVPを獲得するのです。

2013-14シーズンもNBAファイナルへ進出するのですが、更に完成度を上げてきたスパーズの鉄壁ディフェンスやチームオフェンスに翻弄され、リベンジを果たされる形で敗退し、スリーピートの夢は潰えてしまいます。
その後レブロンは大きな決断をすることになります。
※後半へ続きます。

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